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​米倉先生

​ 日本の催眠療法における先駆者であった医学博士 森定一先生の元で学生時代より修行をされ、催眠療法のみならず、さまざまな心理療法について広い知識と高い技術、何よりも人間性を磨かれた米倉先生は、平成十年十一月の森先生のご逝去の後、師匠の生前のご指名により、臨床家としての魂を受け継ぐ形で日本催眠心理研究所を設立されました。当時の”患者さん”たちが通いやすいよう、森先生の診療所・日本催眠医学研究所のあった代々木での開業にこだわられました。

修業時代も含めると数万人の方々の悩みに寄り添い支え、また、多くの心理臨床家を育ててこられた米倉先生でしたが、令和七年七月四日(金)永眠されました。

クライアントさんや私たちだけでなく、『病』さえも運命、ご縁だと向かい合われるお姿は壮大であり、はかなくもあり、私たちが臨床家として、人間として人間とかかわり支えあうことの意味を伝えてくださったように思います。

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米倉先生とのお約束

「米倉先生にしかわかってもらえない」

「米倉先生にしか話たくない」

「米倉先生がいないなら研究所にはもう行かない」

「米倉先生がいないと生きていかれない」・・・

そんなふうに仰る方々がいらっしゃると米倉先生からお聴きしていました。

 先生がご病気をご自覚されたとき、何度か私を呼び出されました。

そして、

「僕にしか頼れない方々」「僕じゃなきゃダメと仰る人」を

「もし僕になにかあったら君に託すから頼むよ」と仰いました。

私は即座にお断りしましたが、

先生は「君にしか頼めない」と真顔で仰いました。​

でも、すぐに、いつもの笑顔と高笑いで

「まぁ、そんなときが来たらな」

と、先生らしい明るさが、そのときにはまだありました。

 私は二十数年前にご縁があり米倉先生に弟子入りしましたが、

実は、この十年ほどは研究所の外での修行の身でした。

もともと私が心療内科での仕事もしていたこともありますが、

ほかにも、小学校、教育委員会、中高一貫校、専門学校などの

教育機関からのお声かけもいただき、一日に数か所を駆け回る日々を過ごしました。

 米倉先生のもとには年に数回顔を出し、生意気なことを言っては帰る弟子でしたが、

その都度、「いいなぁ君は自由で」などと優しく笑ってくださいました。

米倉先生にとって、なににも縛られず跳ね回る私の姿が、

気ままな『素浪人』に見えていたそうです。

私をよく知る人たちからは「最高のほめことば」と言われています。

そんなふうに米倉先生に思ってもらえる、言ってもらえていることで、​

どんな場面にも耐え、乗り越え、生き延びてこれた私自身、

米倉先生のもとに通って来られたみなさんと同じだったかと思います。

『米倉先生でなければダメ』な方が、どなたかを私は知りません。

以前の研究所をお訪ねくださった方、お一人ずつにお声かけをして、

現在、十数人の方とつながることができ、育まれたご縁を大切にセッションを続けています。

今、ここに来てくださったあなたが、もしも居場所を失くしておられたらなら、

こころの傷が痛むなら、道に迷われていたなら、新たな壁に向かわれていたなら、

一度、お会いして、あなたにとっての必要な、これからの『研究所』について

私に教えていただけないでしょうか。

 

『研究所』を受け継ぐことは、米倉先生とあなたの思いをお守りすることだと、私は考えています。

​日本催眠心理研究所 小村 真琴

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